都条例改正への反対論が抱える一つの問題性

東京都青少年健全育成条例改正について賛否かまびすしいようだが、その中で非常に問題だと思う論調に「条例で規制しなくても親が見せなければ済む話だ」というのがある。これを悪びれず正面切って言う人が少なくなく、それに対しあまり明確な反論が聞かれないのがまたおそろしいのだ。

海老蔵の問題で団十郎が謝罪する姿を見ても思うのだが、この何でもかんでも親の育て方に帰着させようとする風潮は、夫婦同姓制と並んで現代日本が抱える前時代性の一つだと思う。

家父長制の時代ならいざ知らず、子供一人一人がケータイ持ってる高度情報化のご時世ですよ。それなのに子供が見るもの聞くもの全て親が統制しろというのだろうか。それこそ非現実的だし、子供の人格を軽視していると思う。

この親に過大な責任を負わせる風潮のおかげで、現代日本において子供を持つ親は「子供の面倒もみれないのか、と非難されたくない」と追い詰められる傾向にあり、のみならず親の過大な支配性向につながり、児童虐待を生む一因にもなっていると聞く。

児童相談所の職員が諸外国と比べケタ違いに少ないという点にも象徴されるように、児童福祉をめぐる諸問題が「すべからく親の問題だ」で片付けられてしまうのは日本社会において除かれるべき因習の一つではないだろうかと思う。

Comments